インドア人間によるアウトドアな生活記


まとめ記事となります。長らく更新をしていなかった点をお許しください。

色んな結果発表といきましょうか!

データあれこれ

旅行日数:261日くらい

(笑。たぶんそのくらいです

総移動距離:11,287キロメートル

この1万㎞という数字…。ピンときませんよね。。

1万㎞という距離を例えるために色々と調べましたよ。

皆様は、『母を訪ねて三千里』というアニメをご存知でしょうか?私は知りません。

1里=約4mらしいのでこの作品の主人公マルコが進んだ距離はおよそ12,000㎞。

つまり、私ももう少し進めば母が見つかったことになりますね!(多分そういうストーリーなのでしょう……。

もう1例出しますと、地球の直径は約12,742㎞らしいじゃないですか。

まとめますとこうなります。

地球の直径:12,742㎞

マルコ(母訪):12,000㎞

私:11,287㎞

ここまでいくとスケールの大きさに驚きますね。自分でもハナタカです!

しかし、なんだろう……。もうちょっと走って直径くらいまで行きたかったな(涙

っといっても差の1,500㎞走るって15日間追加で走ること(1日100㎞計算)なので遠慮しておきます!!

……まぁ少しは長い距離を走ったんだぞ。っというのが伝われば と思います。

どんなルートを通ったの?

まずは下の地図をご覧ください。ざっくりと青いラインが進んだ経路になります。

大体、日本を網羅したということにしてください。

宿データ

旅中、漫画喫茶に泊まりすぎだろ!っという声が耳に入ったり、口から出ていったりしていましたが案外そうでもなかったです!…かね?

やはり道の駅は大抵の施設があるのでイージー野宿が出来ますね。

九州と東北の道の駅は24時間空いている休憩室とかあるのがポイントですね。

観光地での感動というより、ここの道の駅、休憩室に畳まであるじゃん!!うぉぉぉお!っという時の喜びの方が大きかったというのは内緒。

寝所については、色々と大変な思い出があるところですね。

強風吹く中、テントの四隅に荷物をおいてどうにか飛ばされないようにした夜とか。雷が鳴っている中でのキャンプとか。橋の下でのテント泊とか。

次にいきましょうか。。

使ったお金

おそらく150万くらいだと思います。切り詰めていけば漫画喫茶とか、食事代を浮かすことは出来たでしょう、、

貯金口座からどんどんお金が減っていくのを直視したくなかったのでおよその金額です。

野宿道具とか準備含めればもう少し増えちゃいますね。

所感

ざっくりと心境の変化を振り返ってみたいと思います。主に当時書けなかった泣き言をメインで!

<出発(静岡県)~三重県>

不安と楽しみを胸に野宿を頑張るぞぉ!!っと意気込んで出発しましたが、実際は寒さで夜は目が開き寝れないのでコンビニに入って暖を取っていたりしていました。3月にテントはきっついです。夜が恐怖で堪りませんでした。

<三重県~四国>

寒さ・花粉症に続き、膝に激痛が走るようになりました。これは自転車を漕ぐ時も、眠っているときもずっと痛みがあり一番しんどかったです。足を引きずって歩いているのでよく地元のおじいちゃんに湿布を貰いました。

この頃は地獄の苦しみでした。

<四国~九州>

膝の痛みは四国の途中で消えて平和が取り戻りました。

この頃になると旅行を始めて2ヶ月以上が経ち大分慣れてきてます。慣れと飽きは表裏一体で生活が単調化していく感じがしていました。

<九州~山陰~近畿>

日本海側となります。なんとなく、道の舗装状態とか広さとかが古かったり、狭かったりで走りにくさを多く感じてました。

<近畿~東北>

新潟県での宗教勧誘の一連のお陰で出会す人を絶えず疑っていた時期です。

<東北~北海道>

憧れの北海道は壮大な景色に感動もしますが道中が長いので1日移動日とかも多くありました。あと、トラックに当てられたりしましたね。

<北海道~ゴール>

大きな台風のせいでルートに悩んだくらいです。

総括

当初の想定では精神的にも肉体的にもグレードアップして戻ってくる予定でした。

しかし、人間の性根の言うのはなかなか変えられないもの。今年の夏も部屋にムカデが出た夜は怖くて一睡も出来ませんでしたし、体もまた太り始めてきたし。。

またもう一周してみるか?と聞かれたら間違いなく遠慮します。

旅なんかしなくても各地の綺麗な写真もネット検索で見られますし、ストリートビューを使えばもうエア旅行が出来ちゃいますしね!汗かいて自転車でせこせこと行くのはコリゴリかなと思います。

そんなことを思ってしまう私ですが、旅に出て良かったなっと思える部分もあります。

一緒に自転車で走る仲間と出会えました。信号待ちの時に話しかけてくれる人がいました。旅後もポケモンで遊ぶ友達が出来ました。各地で到着を待ってくれている人達がいました。そして帰りを待ってくれる人がいました。

そんな人達との出会いは私にとってかけがえのないものであり、今の自分を奮い起たさせる糧にもなっております。

そんな人達に恥じないように生きていく。そう思います。

これが私の日本一周です。

インドア人間によるアウトドアな生活記Fin

その後

生活の基盤はお金なのです。悲しいけどお金がないと生きていけないのが現状!

仕事はどうするんだい?という事をよく聞かれます。
旅の最後に思ったことがあり、まずはそれを目指してみようかなっと奮闘していました。

それは振り返ること自転車の旅で神奈川県を移動中、ゴールの静岡まで114㎞という看板を見たときな芽生えた感情でした。

やっと家に帰れる安堵の気持ちもあり自然に泣きながら走っていました。

その時に漠然とですが、ふるさとについて考えておりました。静岡が故郷の人にはいつでも戻って来たいと思える、ふるさと。県外の人には自慢できるふるさとにしていけたらいいなという思いが芽生えました。

そして、地方公務員という職を目指すのでした。。

その後②

半年くらい勉強6:遊び4くらいの生活が続きました。

そして迎える初夏。

結果は採用までいかず。

・・

・・・・

・・・・・・

人生甘くも、ましてや酸っぱくもなくこれがただの現実でした。

この道わが旅

人生の夢を達成して、そして新しい夢に破れた。無気力な日々が続きます。

友達との電話で『日本一周して何か得られた?』と言われたことが鉛のように心を重くする。

そんな8月のある日、気分転換に久々に自転車に乗って2時間くらい近所を走った。

去年は北海道に入った頃だったなっという事を思い出しながら走る。

自転車に乗って風を切りながら走るのが気持ちいい。この感覚を忘れてしまっていた。

私は知っていた。

自分が強く願えば、どこにだって行ける。なんでも出来る。

そう思わせてくれるこの旅は紛れもなく素晴らしいものであった。

僕はペダルに力を入れ漕ぎ始めた。

“インドア人間によるアウトドアな生活記” への3件の返信

  1. ひょっこり開けたら更新されてた!ナイスまとめ!静岡行くときは連絡するから、また会おう!!東京来るときは連絡してね。今後もみずきを応援します!

    1. ばびちゃん!
      コメントありがとうございます。

      コロナが収まればふらふら-っといけるんだけどね-。
      また遊びましょ

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